市原市の国分尼寺資料館

市原市の国分尼寺資料館

多くの人は中学校の頃、国分寺と国分尼寺という(何だか知らんけど)全国に建てられたという「お寺」の話を授業で習ったと思います。

そんな話をまったく忘れていたのですが、ふとインターネットで千葉の史跡を検索すると、市原の国分尼寺跡が出てきまして、

「おっ、平安京みたいじゃん!」

と思ったので、さっそく行ってみました。(これは2012年くらいの話です。)

 

正式名は「史跡上総国分尼寺跡資料館」

ここは正式名は「史跡上総国分尼寺跡資料館」というのですが、ちょっと名前が長いですかね。

覚えにくい。

さっそく中に入ろうとすると謎のオッサン1号が「今、消毒をしたばかりだから毛虫が大量に死んでおりますぞぉ!」とイカツイ顔で警告。

かなりビビったのですが、見たところ毛虫は一匹も落ちてなかったのでそのまま中へ。

本当に興味のある人しか中に入場させないためのトラップだったのかもしれません。

 

さて、中に入ると今度はオッサン2号が登場し、丁寧に説明をしてくれます。

国分寺と国分尼寺の事が20分でよくわかる、おもしろい映画も見れます。

これはかなり「当たり」かもしれません。

しかも無料です。

このクオリティで無料なのは本当に素晴らしいです。

模型と映画の演出が素晴らしい

映画が終わると、国分尼寺の復元模型を前に再びオッサン2号が登場し、10分ほど説明をしてくれます。

「写真もどうぞ」、と言ってくれたので、模型の写真を撮っておきました。

こういう模型を見ると真似して作りたくなりますね~。

 

国分尼寺の模型
国分尼寺の模型

 

説明が終わると、目の前の暗い壁が急に透明になり、実際の外の様子がパノラマに広がります。

なんと、お金のかかったシステムでしょう!!

どどーん!

 

オッサンの説明が終わると目の前に草原が!!
オッサンの説明が終わると目の前に草原が!!

 

どうやら、市原は知る人ぞ知る「超リッチ」な市らしいですね。

税収たっぷり市原市ならではの、なせる技なのです!

 

雰囲気サイコーの国分尼寺

さて、30分程の丁寧な説明を受け、草原を歩いて行くと、目の前に復元された国分尼寺が!

草原の向こうには平安京が!

 

何年か前に奈良に行った時にチラっと見た「藤原京跡」みたいです。

いや、藤原京よりもきちんと復元されていますねー。

 

かなり忠実に修復されている!
かなり忠実に修復されている!

 

なんと、13億円をかけて復元したらしく、かなり細かいところまで精密に復元されています。

これもやはり、税収たっぷり市原市ならではの、なせる技なのです!!

県外から見物に来る人もかなり多く、知る人ぞ知る、ものすごい価値ある史跡らしいですね。

 

宝物があります。盗まないで!

 

国分尼寺のナントカ門
国分尼寺のナントカ門

 

こういった「門」には、仁王像とかなんらかのオッサン的なものが左右に格納されているのですが、ここにはありませんでした。

どうやら、発掘された時には空っぽだったらしいです。

盗まれたなこりゃ。

このキンピカも盗まれないといいけど。。。

 

本物の金箔で塗られた灯篭(セコム付き)
本物の金箔で塗られた灯篭(セコム付き)

 

こちらの金の灯篭はメチャクチャ高価らしくて、なんとセコムのセンサーが敷地の四隅に配備されています。

今日の朝にはカラスか犬か魚かがセンサーに引っかかってセコム軍が戦車でやって来たそうです。

 

塀の中から
塀の中から

 

えーと、13億円かけたにもかかわらず、復元されたのは門と塀だけで、中身は空っぽです。

えーと、繰り返しますが、門と塀と金の灯篭で13億です。

でもね、これは、ぜひぜひ、もっと「お金」を掛けてほしいですよ。

まじで、市原にこんなすごい施設があったとは思わなかった。

無料じゃなくて150円くらいは取っていいですよ、ホント。

 

国分寺跡はなんもない

国分尼寺の後は、国分寺跡へ。

しかし、ここは国分尼寺と違って何もないです。

真言宗の寺が建ってしまって、唯一、七重の塔の石の土台が残されているだけなのです。

 

国分寺跡は土台の石だけ残っている
国分寺跡は土台の石だけ残っている

 

この七重の塔もバカにできなくて、この地域では見上げてしまうくらいの高層建築である市原庁舎よりも高かったそうなのです。

どうせなら、これも復元すればいいのに!!

 

国分寺跡は土台の石だけ残っている
国分寺跡は土台の石だけ残っている

 

さて、市原というと今までは工業地帯が海沿いに並んで、「すさんだ街」というイメージでした。

蘇我、市原、袖ヶ浦、木更津のあたりは、ずっとそういう印象でした。

でも、まさか、市原が上総の国の中心だったとは・・・。

ちょっとイメージが変わったかな?

確かに昔は武蔵を経由せずに三浦半島あたりから船で房総半島に渡るルートがメインではあありました。

まさに金谷フェリーですね。

ヤマトタケルもここを渡って嵐の中、房総に辿りついたわけです。

そして北進して香取、鹿島。

うーん、なんだか当時の光景が頭に浮かんできそう。