犬塚氏のルーツを追う

誰しもが自らのルーツを知りたいと思っているはず。
例えルーツが大陸や南方からの渡来人だとしても、何千年の歴史を日本という地で生き抜いたのなら、もはや列記とした日本人である。
天皇ですら、大陸からの渡来人であるという説も存在する程であるから、仮に自分の先祖が渡来人だとしても、ガッカリする事はない。
とはいえ、自分の先祖が古来から日本に永住する元祖日本人であるとすれば、長い歴史を通じて日本という国を守ってきたという誇りも芽生えよう。

というわけで、自らのルーツを調査してみた。(あくまでネット上だが。笑)

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さて、当方の姓は「犬塚」という。
名の「タケル」は父親曰く、ヤマトタケルから拝借したとの事。
名の由来はわかれど、姓の由来はどこに求める事ができるのだろうか。

ヤホーで検索してみると、どうやら千葉氏の一族だったようだ。
千葉氏の一族に犬塚氏がいる。
ちなみに千葉氏とは下総の豪族で、守護大名・戦国大名となった一族である。(Wikipedia)

次に、千葉氏の一族の犬塚氏が、当方の犬塚である根拠を調べてみた。
元々、当方の出身地である三河には、三河国幡豆郡犬塚邑(村)という村があったようである。
そこに千葉氏の一族が移住し、「犬塚」を名乗ったようである。
よって、元々犬塚村には原住民がいたので、ここでルーツが千葉氏であるのか原住民であるのかわからなくなってしまった。

ただ、ややオカルト的になるが、人はその前世で関係の深い場所に無意識に引き寄せられたりすることがあるそうである。
愛知県出身の自分がなぜ今、千葉県にいるのか?これはある意味、前世からの因縁ではないか?
そう思ったのである。

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そもそも、千葉に初めて訪れたのは最初の大学を辞めて浪人していた時、親に迷惑をかけまいと予備校に通うため、新聞奨学生の求人をみて蘇我(千葉市)に行ったのが最初だ。
たまたま実家で見た求人誌に蘇我があっただけで、敢えて選んだわけではない。
結局、両親に反対され、しばらく自宅で浪人することになる。

次に千葉へ訪れたのは受験時。
第一志望は東京外国語大学の学科の中では最難関である英語科であった。
しかし、さらっと落ちて、滑り止めだった千葉大学へ合格。
たまたま、千葉の後期が英語だけで受験可能だっただけで、別に千葉に行きたくて千葉大学を選んだわけではない。
ちなみに模擬試験の結果などから想像するに、東京外国語大学のベトナム語学科とかだったら、合格していただろう。

これだけでも千葉との関係性に何か因縁めいたものを感じるのだが、もっと因縁めいているのは、うちの父方の遠い親戚が千葉県の銚子市にいるということだ。
元々かなりの地主であったのだが財産を全てギャンブルで浪費し落ちぶれたそうであるが、親族が銚子にいるというのは、やはり犬塚家は千葉との関連性が深いのであろう。
(父親は戦争中、銚子に疎開したそうだが、もう、親戚付き合いはなくなっているようだ。)

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これら、なぜか自分が千葉にいる事や、親族に千葉県民がいる事を総合するに、当方は愛知県出身でありながら、千葉県とは非常に深いつながりを見出さずにはいられず、千葉氏にルーツがあるのではないかと思われる。
というわけで、8割方、当方のルーツは千葉氏であると仮定して、千葉氏がどんな豪族だったのか、調べてみよう。

どうやら千葉氏は、平安京をつくった桓武天皇の血をひく「桓武平氏」の一族で、中世の房総半島を中心に栄えたようである。(サイト「千葉氏の一族」より抜粋/以降参考文献とする)
鎌倉幕府の成立後には東北から鹿児島にいたるまで、全国各地に領地を与えられたようで、その際に三河の国に一部が移住したのであろう。

さて、千葉氏の家紋はというと、次のような月と星を象徴したものになっている。

 

千葉氏の家紋

千葉氏の家紋

 

ここでいう星とは北極星(北辰)を指し、古代中国の思想では天帝を象徴するものである。
これに仏教の思想が入り込み、北辰菩薩となり、七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経により「妙見」と呼ばれるようになったそうである。
「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。
(また、千葉神社は千葉氏の氏神である。)

さて、当方「犬塚家」の家紋はというと、これがまた、まったく上記とは異なる家紋である。
星も月もない次のようなものである。

 

犬塚家の家紋

犬塚家の家紋

 

有りそうでない家紋で、ヤホーで探しても、なかなか見つからなかった。(並び矢ならあるのだが)
が、一つ手掛かりをつかんだ。
相良氏系松本氏が、この「丸に三本矢」を家紋としていたのである。

相良氏系松本氏は、相良長利が松本氏を称したことに始まる。
相良長利、相良氏とは藤原南家・藤原武智麻呂の子孫で常陸介藤原維幾の子、藤原為憲を祖とする一族である。
ただ、藤原為憲は、平将門・平貞盛の従兄弟にあたり、藤原氏であるとともに桓武平氏の血縁でもある。
ということは、やはり同じ桓武平氏の一族である千葉氏とつながる。

うーん、ハッキリと繋がりが見えないので、もう少し詳しく調べてみることにする。

桓武平氏の祖となった上総介平高望(高望王)の子らは常陸国や下総国に栄え、高望の子で武蔵国村岡(埼玉県熊谷市村岡)に住んだのが、村岡五郎平良文であった。
良文も最初は鎮守府将軍として奥州に赴任していたそうである。
その子孫、下総権介平常重が平安時代末期に下総国千葉郡千葉郷(千葉県千葉市)へ移り、その地名から「千葉」を称したのがそのはじまりとされている。

一方、相良氏系松本氏は、藤原為憲を祖とするが、平良文と腹違いの妹?姉?が藤原為憲の母である。
つまり、千葉や茨木あたりに住む親戚同士なのだ。

よって、千葉氏の一族の誰かが、親戚である相良氏系松本氏の誰かと婚姻関係を結び、家紋が引き継がれ、その後、三河国幡豆郡犬塚村に移住し、「犬塚」を名乗ったと考えられる。

無理やりの「こじつけ」にならず、ここまで繋がったのは、我ながら感心してしまった。
今日はここまで。

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