もっとシンプルに生きてみようかな

さて、「田舎暮らし」からはじまった「夢実現したい」コーナーだけど、ここ数年はどうも実現度がイマイチ。

「自分のお店を持ちたい」ってのも、店というか事務所チックな家(自宅兼事務所)を新築で建ててみたけど、当たり前だけど、今までと何も変わらない日々。

学習塾とか、パン屋、ケーキ屋、コンビニなどなど、いろいろ考えたけど、まだはじまってもない商売のために大金を掛けて店舗兼自宅にするのもリスキーなのでとりあえず、SOHO事務所的にはしたけれども。

いやー、今までと変わらないね。

忙しすぎる日々が続くだけです。苦笑

いや、それも別に悪くないんだけどね。

仕事とは、「働く」こと、つまり「傍が楽」になるということで、何よりも尊いことである。

と思いながら日々頑張っているのだが、やっぱり、どこかで息抜きがないと、ちょっと息が詰まってくる。

仕事に生きようと思って、そして、自分の店がほしい、事務所らしい事務所にしたいということで引っ越して新築(しかもやたら高い積水ハウスで)家を建てたものの、なんとなく窮屈な日々。

そりゃー350坪の田舎から50坪しかない(けど地価は10倍以上…)地域に引っ越してきて狭い中で暮らしていれば窮屈だろう。

でも、街っていっても、それほど街でもないんだよね。

若いときに一人暮らしでJR西船橋とかJR松戸付近に住んでた時よりも不便度はめちゃくちゃ高い。

それを考えるとやっぱり微妙。

かといって、もう一人じゃないから都内で暮らすこともできないし、田舎暮らしに戻ることもできない。

というわけで、街だけど少しだけ田舎、みたいなところを探している。(妻も渋々OKしてくれたし。。。)

もしも、この我儘な願いが叶えば、またブログを書いたり、色んな場所に旅行に行ったり、歴史の研究したり、そんなことをしたいなあ。。。

人の命などというものは短いんだから、やりたいこと、心からの欲求、それをやらなければだめだなと。。

 

父親が倒れて、死の淵にいるのであるが、人の命って儚いなあと思ったよ。

オレとか家族のために父親は自分の人生を犠牲にしたことはなかったのだろうかと考えると、とても心が痛む。

もう、そんなことも聞けなくなったからだ。

何を聞いても何の答も返ってこないのだ。

実家にある大量の歴史書、父親のものなのだが、それを持ってくるスペースもないんだよなあ。。。

ここに引っ越す際に、どれだけの本を処分したか。

あまり裕福でない我が家でも、本だけは父親に頼めばどんな本でも買ってくれた。

いやもう本は命なのです。

その本を大量にブックオフに持って行ったんだけど、けっこう喪失感があったなあ。

本以外は別に捨てても何とも思わないんだけど、本は重みが少し違うんだよな。

 

自然と本に囲まれて、好きなときに働いて、という生き方をしていた時はよかった。

仕事をがんばって、いい家に住んで、いい車に乗って、いいものを食べて、という生き方もまたそれも良かった。

でも、一通り経験すると、やっぱり、自分が本当は何をしたかったのかというものが見えてくる。

忙しすぎて何も見えてこない経験も必要。

暇すぎて自由すぎて退屈な経験も必要。

両方を経験するから、統合された新たな目標が見えてくるんだろうと思う。

結局、「心の余裕」は必要だということがわかった。

すべては「心」が決めているのだと思った。

 

田舎暮らしを始めてから、「~したい」と思ったことが、見事に実現していた。

それは何よりも心に余裕があったからだと思う。

そうなる環境を自分で作り出したのだから当たり前と言えば当たり前だ。

自分が自分らしく生きるには自分をそういう環境に置かなければ駄目だ。

敢えてアウェーで頑張ろうというのは、スポーツじゃああるまいし、意味の無いこと。

 

結婚すると、当たり前だが、妻に喜んでほしいと思う。

それは誰でもそうだろう。

学生時代は、親に喜んでもらいたいと思った。

それも当たり前だろう。

しかし、自分の場合、「親の期待に応えたい」という思いが逆に働いて、失敗してきた。

大学もそう、仕事もそう、結婚もそう、なにもかもすべてそうだった。

親に喜んでもらいたいと思ったのに、結果、親を泣かせてしまったこともあった。

 

そう、そうなのだ、また同じ事を繰り返しているのではないかと思ったのだ。

周りの期待に応えようと思って、地域のコミュニティにも参加し始めたし、妻に喜んでもらいたいと思って家や車など少しだけリッチな生活を始めた。

しかし、それは当たり前だが、自分のやりたいことではない。

もちろん、地域のコミュニティも勉強になったし、いわゆるセレブ的な生活も良いものだと思った。

それで近所の仲良くしてくれるオバチャンたちが喜ぶならそれで良かったし、亭主関白な自分なので言葉では伝えられないけど、それで妻が喜んでくれれば、それはもう最高に嬉しかった。

しかし、自分にとっては、歴史や自分の興味のあることの研究をしたり、ガーデニングやプログラム等などの物作りに比べれば、大したものではなかった。

他人が喜ぶ顔というのは、そういう直接的で物質的なものだけではないのだが、そういう安易な方法に頼ってしまった自分も悪かったと思う。

やっぱり、「自分が自分らしく生きている姿」を見せるのが、「本当に自分のことを考えてくれる人」にとっては喜びだと思うのだ。

なぜなら、自分がそう思うからだ。。。

 

どっちにしても、そういう自分らしく生きるということをもう一度見直してみたくなった。

シンプルに、心に余裕を持って、何が一番大切なのか、今何を一番するべきなのか、ということを、周りや世の中、いや地球全体を俯瞰しながら、生きていきたいと思う。

 

某人が言っていたな、「最も悟った人の人生は、単なる田舎の郵便配達員であったり、意外なほど普通な人生で、ただ彼らは自分の人生を深く味わうためだけに生きるのだ」、と。。。

確かにそう思うよ。。。

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