丹波王国の謎

さて、先日にブログで帰省の後に「天橋立」「籠神社」に行ってみようかどうか検討中と書いたが、結局行くことになった。

一般の人ならば「天橋立」に興味を惹かれると思うが、個人的には元伊勢「籠神社」そしてその奥宮である「真名井神社」がメインである。

そして、その背景には「丹波王国」がある。

丹波王国ってのは本当に実在したかは定かではなく諸説があるようである。

個人的には出雲と並んで王国が存在したのではないかと思っている。

 

さて、まずは元伊勢「籠神社」だ。

さすがに丹後の国の一の宮だけあって綺麗に整備されている。

籠神社の参道

籠神社の参道

以下の由緒からもわかるように、元伊勢つまり、過去に伊勢神宮があった場所(天照大神の本体があった場所)である。

籠神社の由緒

籠神社の由緒

お盆にしては空いてるのかな?

籠神社の鳥居

籠神社の鳥居

籠神社(真名井神社)は別名を「匏宮(よさのみや)」または「与佐宮」という。

与佐宮は別名というか元々の名前だと思うのだが、そもそもこの辺りの地名が与謝野である。

ついでに、あの俳人?だっけ?の与謝野鉄幹の実家らしく、与謝野晶子の歌碑?があったり縁が深い。

籠神社

籠神社

拝殿の前には謎の宮司が佇む。

もしかして、あの有名な海部氏の祖先の方だろうか!?

海部氏というのは、元の祖先は「天火明命」で、それを示した海部氏系図は国宝指定されている。

籠神社(左は宮司の海部氏か?)

籠神社(左は宮司の海部氏か?)

裏から神社を出ると「倭宿禰命」の像がある。

これは、上述の天火明命の子孫で、神武が大和を制覇した時に大いに貢献した人物とされる。

籠神社 倭宿禰命

籠神社 倭宿禰命

その貢献を認められて、「海部」という姓を頂いたようである。

ただ、これは神武側の解釈であり、実際には今まで王だったのに、神武に屈服したという意味にも取れる。

籠神社 倭宿禰命

籠神社 倭宿禰命

籠神社の案内看板には奥宮の真名井神社の案内もある。

豊受の真名井神社は奥宮にあたるので当然、この地域では天照大神よりも豊受大神のほうが各上扱いなのである。(たぶん)

籠神社 案内看板

籠神社 案内看板

次はいよいよ待望のの奥宮「真名井神社」である。

こちらは、籠神社から400m程度離れた場所にある。

真名井神社 鳥居

真名井神社 鳥居

山道を登っていく。

真名井神社 参道

真名井神社 参道

やっと入り口が見えてきた。

夏は暑いし疲れるな、こりゃ。

真名井神社 参道

真名井神社 参道

石碑には際神の豊受大神の名と、別名の一覧が並ぶ。

真名井神社 石碑

真名井神社 石碑

由緒はなんだか読めないし。

訳してくれよ。

真名井神社 由緒

真名井神社 由緒

拝殿なのか本殿なのか、こちらが真名井神社の本体。

真名井神社 拝殿

真名井神社 拝殿

塩土老翁の裏山がご神体なので、やっぱりさっきのは拝殿なのだろう。

真名井神社 塩土老翁

真名井神社 塩土老翁

ただし、拝殿の裏には天ノ御中主が祭られている。

なんだか、あれこれ一緒に祭られていて、ちょっと不思議な配置だな。

ちなみに天ノ御中主ってのは宇宙を作った神、的なすごい人。人?いや、神。

真名井神社 天ノ御中主

真名井神社 天ノ御中主

というわけで、籠神社と真名井神社、現代でいうところの伊勢神宮の内宮と外宮と同じ関係である。

内宮に天照大神、外宮に豊受大神、豊受大神は食べ物の神とされているが、そもそも丹波に鎮座していたということで納得がいった。

丹波は古来「田庭(タニハ)」と呼ばれて、それが音韻化して「タンバ」となった。

田庭というのは広大に田んぼが広がり食料が豊かな土地の意味で、豊受大神はその豊かな丹波の王であったゆえに、食料の神となったのだろう。

最後に余談だが、真名井神社の入り口には「波せき地蔵」というものがある。

波せき地蔵

波せき地蔵

かつて大地震が起きて大津波が来た時に、この地蔵の位置で止まったというものらしい。

確かに天橋立のある土地はリアス式海岸で、何倍にも巨大化してた津波が襲い掛かる危険性の高い地域だ。

しかし、この場所は結構標高も高い。

ていうか、少なくとも「50m」はああるぞ!!

うーん、津波、恐るべし。。。

 

さて、籠神社の裏手には、リフト乗り場がある。

ここから天橋立を見渡すことができる。

天橋立(リフトから)

天橋立(リフトから)

確かに不思議な光景だ。

イザナギがイザナミに会うために天に伸ばしたハシゴが倒れてできたという言い伝えがあるが、神秘的な地形である。

ていうか、危ないし、ハシゴを倒すんじゃねえ、とも思うが。

天橋立

天橋立

有名な「股のぞき」。

股のぞきをしている人を後ろからいると非常に間抜けである。

天橋立(股のぞき)

天橋立(股のぞき)

山に登るにはリフトとケーブルカーがあるのだが、圧倒的にリフトのほうが楽しい。

天橋立(リフトから)

天橋立(リフトから)

さて、再び歴史探索へ。

次は、与謝野町立の古墳公園へ。

このあたりは古墳が非常に多く、出土物も王国があったのではないかと思わせるものがたくさん出ている。

町をあげて「丹波王国」または「丹後王国」とPRしている。

与謝野町 古墳公園はにわ資料館

与謝野町 古墳公園はにわ資料館

ここには、数個の古墳が固まって存在している。

蛭子山古墳

蛭子山古墳

蛭子山古墳

蛭子山古墳

蛭子山古墳 石棺

蛭子山古墳 石棺

作山古墳

作山古墳

これなんか、死体跡みたいでなんか怖いな。

作山古墳 石棺

作山古墳 石棺

以下の図を見てもわかる通り、古墳や史跡が非常に多い。

やはり、古代の日本海側(北九州、出雲、丹波、越、津軽)というのは大陸からの文化流入が確実にあって、それによって豊かな国が作られたようだ。

丹波の史跡

丹波の史跡

年表

年表

撮影OKなので、いくつか展示物も載せておく。

土器 鉄器

土器 鉄器

土器 鉄器

土器 鉄器

首飾り

首飾り

さて、次はちょっと面白い観光地へ。

その名も玄武洞公園。

玄武洞というのは玄武岩でできた洞窟である。

玄武洞公園 案内板

玄武洞公園 案内板

このように、非常に規則正しく結晶化した岩肌が露わになっており、見るからに異様な風景である。

この結晶化した岩を科学用語で摂理と呼ぶ。

玄武洞公園

玄武洞公園

でも、こういった模様の建物あるよね。

玄武洞公園

玄武洞公園

これは火山噴火によって流れ出た溶岩が結晶化してできたらしいのだが、見事に六角形になっている。

これはそのまま飛び石にできる。(ていうか、実際にそういった利用がされていたらしいが)

ちなみに、ここにある玄武岩はすべて天然記念物なので、採取すると罰せられるので注意。

玄武洞公園 玄武岩

玄武洞公園 玄武岩

また、ガイドさんも無料で依頼できる。

色々解説してくれた中で、特に面白かったのは、この玄武洞は磁気が逆転しているという話。

これを見れば一目瞭然!!

玄武洞公園 方角が逆

玄武洞公園 方角が逆

っていうか、どっちが地図上の南北かわからないよね。。。

それはさておき、この玄武洞は150万年前に火山噴火でできたらしく、その頃は地球全体の磁極が南北逆だったらしいのだ。

この原理は解明されていないが、定期的に南北磁極が入れ替わるのはわかっているらしい。

そしてそれは現在も進行中らしいのだが、これってつまりポールシフトだよね。。。

というわけで、まとめてみよう。

伊勢神宮の外宮の神である豊受大神。

その出身地が丹波である。

豊受大神が食べものの神だということから考えても丹波は非常に豊かな土地だったことがわかる。

つまり、そこそこの大国である。

それを裏付けるかのように周辺に散らばる古墳群と、豪華な出土物。

これはもう丹波王国などない、という方が不自然ではないだろうか。

もう少し調査を続けてみたい。

鹿島神宮(震災後)

先日、悪路王の首を見るために間違えて香取神宮に行ってしまったため、今日は鹿島神宮へ。

鹿島神宮は震災前に訪れて以来である。

鹿島神宮

鹿島神宮

 

大鳥居は東北大震災で破壊されて既に撤去されていた。

大鳥居の後には下のような看板が。

 

鹿島神宮の大鳥居跡

鹿島神宮の大鳥居跡

 

なるほど、確かに、大鳥居が破壊されたのは身代りになったのだという考え方もある。

さて、下はその「地震」を抑えていると言われる要石。

正直、これを写真に撮る時、ちょっと気が引けた。

まあでも、起こってしまったものは仕方ない。

鹿島神宮の要石

鹿島神宮の要石

さて、本命の悪路王の首。

悪路王って、ものすごい悪そうな当て字だが、実際は悪であったかどうかはわからない。

なぜなら、朝廷によって成敗されたのは、いわゆる縄文人つまり先住民である可能性が高いからだ。

(蝦夷(エミシ)やアイヌは日本の先住民だろうと思われるが、これもまだ自分の中では8割方そうだろうという程度であるが。)

悪路王(アクルオウ)の首

悪路王(アクルオウ)の首

 

ところで右側の注意書きをよくみると、坂上田村麻呂が成敗したと書いてある。

おかしいな、たしかヤマトタケルが成敗したはずなのだが。。。

ネットで調べてみると、ヤマトタケルが成敗したのは「阿久留王」で坂上田村麻呂は「悪路王」となっている。

うーん、別人なのかな???

もしくは、ヤマトタケル=坂上田村麻呂?

いや、どう考えても、「阿久留王」=「悪路王」だろうな。

昔のことだから、きっとごっちゃになったのだろう。

 

って、本当かな。。。笑

待望の三内丸山遺跡

待望の三内丸山遺跡に行って来た。

縄文遺跡としては、個人的にNo1ではないかと思う。

三内丸山遺跡エントランス

三内丸山遺跡エントランス

ちなみに、三内丸山遺跡は入場無料。

太っ腹なのか、みんなに見てほしいということなのか、ちょっと感動。

犬を連れていった場合は、バリケンか犬用カート(バギー)に入れておけば、フロントで預かってくれる。

これは模型だが、遺跡の復元跡はそれほど広くないので、半日あれば十分に周れる。

三内丸山遺跡の全体模型

三内丸山遺跡の全体模型

なので無料ガイドについて回れば 、早すぎず、遅すぎず、ちょうどよい時間でまわれる。

(無料ガイドは何分かおきにスタート地点で待っている。)

無料ガイドについて周ろう

無料ガイドについて周ろう

さて、三内丸山遺跡と言えば、見晴らし台だろう。

三内丸山と言えばこれ!

三内丸山と言えばこれ!

この柱の跡を見れば、太さがわかる。

見晴らし台の太い柱の跡

見晴らし台の太い柱の跡

これを見て、一番に連想したのは出雲大社の柱跡だ。

出雲大社は、このレベルの柱を3本束ねて社を立てたのであるから、単純に3倍の高さまで耐えられる構造になっているとすれば、やはり出雲大社はすごい。

この見晴らし台でさえ20mあるのだから、出雲大社が50m近くあったという昔話は、まったくのウソではなかったのだ。

ちなみに、この見晴らし台跡が発見された時に、時の県知事は、「遺跡なんかどうでもいいから当初の予定通り早く野球場を造れや」と言ったらしいが、これはもう万死に値する。

それはさておき、下の写真は、ガイドお勧めのベストショット撮影位置から取った写真。

三内丸山遺跡のベストショットらしい

三内丸山遺跡のベストショットらしい

手前の建物は中に入るとおしゃれな感じのホール。笑

おしゃれな古民家

おしゃれな古民家

これは古民家というか、みんなが集まる集会所だったのではないかと言われているが、うちの部落の集会所よりおしゃれである。

さて、三内丸山遺跡は館内も充実している。

ていうか、もちろん屋外より狭いのだが相対的に館内の方が広いのだ。

怪しいゆるキャラもいたりする。

名前なんだっけ?丸山君だったかな?そんなわけないな。笑

怪しいゆるキャラ

怪しいゆるキャラ

展示物も一般的な縄文遺跡の博物館並みに充実している。

ちなみに、下記下は土偶の写真だが、よくみると全員グレイタイプの宇宙人のような顔をしている。

縄文人は、こんなにアゴが尖ってないだろうと思うのだが・・・。

不思議だ・・・。

宇宙人のような土偶

宇宙人のような土偶

子供が遊びで作ったのではないかと思われるミニチュア土器もあった。

こういうのを見ると当時の生活を想像できるというか、なんとなくリアリティが出てくるね。

子供の遊びの土器?

子供の遊びの土器?

さて、三内丸山遺跡は何がすごいかって言うと、今までの縄文の概念をひっくり返した遺跡であるということだ。

そもそも三内丸山遺跡が発掘される前は縄文時代に農耕はなく狩猟生活オンリーと言われていたが、三内丸山遺跡によって、そうではない事が証明された。

そして、この巨大な集落の跡と、あの6本柱の巨大な建造物。

あれが4000年も前に存在したというのは、すごい発見なのだ。

個人的にすごいなあと思ったのは、「武器」が遺跡から出てこなかっということ。

つまり戦争がなかったらしいのだ。

縄文こそ、世界に誇れる最古の文明であると思うのだが、違うだろうか。

 

しかし、そのような縄文文明がある時、突然なくなったというか、姿を消してしまったらしいのだ。

どうやら突然、寒冷化したらしいのだ。

つまり当時の東北は今のように寒い土地ではなく温暖な気候だったのだ。(海岸線も今より内陸まで及んでいた)

寒冷化の後、人々は南下していったのだろうか。

 

日高を望む地という意味で日高見(今の北上)という地あるが、富士山に対して富士見と名付けるように古来は日高が聖地だったのだろうか。

寒冷化で人々が南下していった時に、昔を懐かしみ、日高を遠く望む地で、その場所を日高見と名付けたのだろうか。

その日高をより間近に望む地としての三内丸山。

そして、遠くを望む見晴らし台。

うーん、縄文ロマンですなあ。