鹿島神宮(震災後)

先日、悪路王の首を見るために間違えて香取神宮に行ってしまったため、今日は鹿島神宮へ。

鹿島神宮は震災前に訪れて以来である。

鹿島神宮

鹿島神宮

 

大鳥居は東北大震災で破壊されて既に撤去されていた。

大鳥居の後には下のような看板が。

 

鹿島神宮の大鳥居跡

鹿島神宮の大鳥居跡

 

なるほど、確かに、大鳥居が破壊されたのは身代りになったのだという考え方もある。

さて、下はその「地震」を抑えていると言われる要石。

正直、これを写真に撮る時、ちょっと気が引けた。

まあでも、起こってしまったものは仕方ない。

鹿島神宮の要石

鹿島神宮の要石

さて、本命の悪路王の首。

悪路王って、ものすごい悪そうな当て字だが、実際は悪であったかどうかはわからない。

なぜなら、朝廷によって成敗されたのは、いわゆる縄文人つまり先住民である可能性が高いからだ。

(蝦夷(エミシ)やアイヌは日本の先住民だろうと思われるが、これもまだ自分の中では8割方そうだろうという程度であるが。)

悪路王(アクルオウ)の首

悪路王(アクルオウ)の首

 

ところで右側の注意書きをよくみると、坂上田村麻呂が成敗したと書いてある。

おかしいな、たしかヤマトタケルが成敗したはずなのだが。。。

ネットで調べてみると、ヤマトタケルが成敗したのは「阿久留王」で坂上田村麻呂は「悪路王」となっている。

うーん、別人なのかな???

もしくは、ヤマトタケル=坂上田村麻呂?

いや、どう考えても、「阿久留王」=「悪路王」だろうな。

昔のことだから、きっとごっちゃになったのだろう。

 

って、本当かな。。。笑

蘇我氏と物部氏(いすみ市岬町の戦い?)

さて、当ブログでは度々、岩熊がいすみ市の中心だと主張しているのだが(笑)、あながちウソではなさそうだというのは前回のブログにも書いた通り。

その根拠である、岩熊の法興寺(跡)について、ふと気がついたことがある。

この法興寺という寺名は蘇我の寺として有名な飛鳥寺の古名と同名であったのだ。

寺と言えば仏教、仏教と言えば蘇我氏であるが、奈良時代の瓦が発掘されたということは、まさに蘇我氏の時代の寺ということである。

今も法興寺は旧寺跡のすぐ近くに存在するのであるが、歩いて行ける距離にあるこの寺に、蘇我氏が何らかの形でかかわっていたと考えたら、かなりワクワクしてきた!

しかし、蘇我氏と言えば、歴史の授業では悪者で、渡来人説まである得体の知れない悪者のイメージであるが、実際のところはどうなのか?

 

ところで、いすみには蘇我氏のライバルでもある物部氏が1200年前にいすみに移住してきた時に創建したと言われる玉崎神社がある。

トヨタマヒメ(初代神武天皇の祖母)とウガヤフキアエズ(神武天皇の父)を祭る神社である。

ちなみに、一ノ宮の玉前神社は、祭神がタマヨリヒメ(トヨタマヒメの妹)なので、いすみ市の玉崎神社の方が格が上ということになる。

 

(ただし、ここは、あの「オーラの泉」の江原氏がパワースポットとしてメディアで紹介したという、「いわく」が付いているので要注意。笑)

 

さて、ここがどんな神社かという、外見は普通の小さな神社である。

とはいえ、神社ソング(笑)が本殿からエンドレスで流してあるなど、かなりの企業努力をうかがえる。

(ちなみに、本殿の右奥にある琴平(金刀比羅)神社が、江原氏いわく、かなりのパワースポットだそうだ。)

個人的にはこの狛犬(↓)にとてつもないパワーを感じた。

いすみ市玉前神社の狛犬

いすみ市玉前神社の犬

 

ていうか、これは間違いなく狛犬でなく「犬」だ、敢えて言うなら柴犬、うちのコロリさんに似ている。笑

しかも耳が寝ているので来る者に服従を意味しており、狛犬の意味をなしていない、まさに犬!

うーん、このノホホンとした表情と妙な目ヂカラが圧倒的なパワーを感じる!

 

冗談はさておき、こちらの玉崎神社が物部で、岩熊の法興寺が蘇我。

しかも創建時期はどちらも同年代とくれば、当時のいすみでは蘇我VS物部の戦いが繰り広げられていたのか!?

 

さてさてー、というわけで、どっちの味方に着こうかな~?

個人的には仏教よりも神道のほうが好きなので、物部派!

と、言いたいところなのだが、蘇我氏=仏教しかも歴史上は悪者、だから嫌い!というのもかなり単純な思考回路である。

蘇我馬子と物部守屋のケンカシーンなどは、お互い幼稚でどっちもどっちであるのに、蘇我だけが嫌な奴のイメージが付いたのはなぜ?

ここは少し検証してみよう。

 

(・・・まあ、検証するまでもなく日本書紀や古事記が蘇我氏を恣意的に悪者に仕立てている事は自明である。

歴史は常にその時代の強者によって作られるからである。)

 

それはさておき、蘇我氏の祖はタケノウチノスクネである。

この人は計算上300年以上生きていることになり実在しないのではないかと言われているが、恐らく、タケノウチスクネは個人名ではなく、官職名であったのかもしれない。

それを世襲で受け継いできた一族がいたのかもしれない。

または、記紀を編纂した者たちの歴史改ざんの結果、300歳ということになってしまったのかもしれない。

しかし、いろんなエピソードに具体的な描写でもって登場する人物であるので実在しなかったとは非常に考えにくい。

ではタケノウチノスクネの祖先は誰かというと孝元天皇に行きつく。

つまりは、歴史をさかのぼると蘇我氏は皇室の人間なのである。

 

ちなみにタケノウチスクネは気比神社や宇部神社をはじめ山陰、日本海側の神社に祭られており、出雲とも関連が深かったことがわかる。

タケノウチノスクネの母親は紀国造の家系だったことを考えると、やはり出雲との関連性を否定できない。

また、蘇我は「スガ」や「スサ」と同義であるという説もあり、そこにはスサノオとの縁をも感じさせる。

さらに、千葉県には「蘇我」という街があり、蘇我氏とは切っても切れない縁のある土地である。

しかも蘇我氏は1500年前から千葉におり、いすみに移住してきた物部氏よりも300年も早く千葉にいることになる。

千葉県民である限りは、蘇我氏の悪口は言えないのだ!!笑

 

とはいっても、蘇我氏は国を治めるために仏教を広めてしまったという罪がある。

仏教そのものの教義は決して悪いとは言えないが、それを政治利用したことに大きな罪がある。

恐らく、蘇我氏とは新し物好きの策略家なのだろう。

新し物とは、外国の文化である。(いつの時代にも外国好きっているよね? 小泉のブレーンとか橋下のブレーンとか。)

タケノウチスクネも帰化人を使役して彼らをの文化や知恵を使って政治力を駆使したように蘇我氏もまさにそうだったのだろう。

蘇我氏の場合は仏教が政治に使えると踏んだのだろう。

 

まあ、そんな蘇我氏も藤原(中臣)に潰されてしまうのであるが、記紀にはその藤原の思惑も存分に反映されているはずなので、やはり蘇我だけが悪く書かれるのは何か裏あるのだろう。

縄文土器と縄文体験

加曾利貝塚の博物館は許可を取れば撮影OKということで、気になった土器をいくつかご紹介。

まずは、典型的な縄文式土器。

よく言われる事だが弥生式土器と比較にならない程、凝っている。

ちなみに博物館では、希望があれば解説員のオッサンを付けてくれるのだが、そのオッサンが典型的な縄文マニアで、恐らく縄文好きにはたまらない解説が楽しめる。

縄文土器

縄文土器

土偶なんかも、こんなイカニモな形で出土するんだね。

土偶の意味も諸説あるけど、一番のポイントはこのデザインでしょうな。

人間を見て、この形、デザインが思いつくところがすごい。

縄文土器

縄文土器

これなんか、入れ物の蓋(ふた)らしいんだけど、わざわざ模様のある方が内側になるように作ってんの。

これって、すごい発想ですよ。

保存食に対する、なんらかのオマジナイなのかもしれない。

縄文土器

縄文土器

これなんか、何に使うかさっぱりわからん。

縄文土器

縄文土器

思うに、こういった模様は完全な独創っていうんじゃなくて、何らかのサンプルがあった気がする。

それを真似て作ったような気がする。

縄文土器が南米で見つかったなんて話もあるくらいだから、なにかもっと大きな文明の発祥地があったのではないかと。

縄文土器

縄文土器

これも、何に使うかわからん。

ハクション大魔王の壺にも見える。

縄文土器

縄文土器

さて、博物館で縄文ジイさん(ボランティア)の楽しい解説が終わると、復元住居に案内される。

途中、貝塚の跡も歩くのだが、下を見ると貝のかけらが、ボロボロとそこら中に落ちている。

しかし、これを持って帰ると厳罰に処せられるそうなので決してポケットに入れないように。。。

と、縄文体験の赤いのぼりが。。。

縄文体験ツアー(加曾利貝塚)

縄文体験ツアー(加曾利貝塚)

復元住居が見えてきた。

縄文豪邸の復元

縄文豪邸の復元

中に入るとワイシャツの職員らしき人がいて解説をしてくれる。

と思ったら、とくに解説もなく『「縄文ソファー」の座り心地はどうですか?』と聞いてくるので思わず

「ソファーぁ?」

と、聞き返してしまった。

気まずい雰囲気が流れたので、そそくさと外に出ることにした。

縄文式豪邸内の縄文ソファー

縄文式豪邸内の縄文ソファー

次は火起こし体験。

よくTVで見るのだが、まさか自分が体験できるとは思ってもみなかった。

縄文ジイサンの指導のもと、気合いを入れて木の棒をバイオリニストのように回してみる。

火起こし体験

火起こし体験

あ、ものすごく簡単に火が付いてしまった。

やはり、オレは縄文人なのかもしれない。

このあと、「縄文式火起こし名人」の認定証を発行してもらった。

これは、決してブログにアップしてはいけないそうで、かなり貴重な認定証らしい。

言ってみれば、フリーメーソンの会員証くらいの価値があるらしい。

火起こし体験

火起こし体験

このあと、縄文ジイサンに半ば無理やり縄文服を着せられ、写真も撮られた。

なぜか2枚も写真を取られて「これで年賀状は決まった」などと縄文ジイサンに軽口を叩かれる始末。

別の縄文オヤジには、オレを見て「いかにもだねぇ」などと俄かに信じがたいセリフ。

その他、ドングリの実で笛を作ったり、首飾りを作ったりと、そこそこ楽しい時間を過ごした。

縄文体験

縄文体験

加曾利貝塚は、意外や意外、大人でも、かなり楽しめるパワースポット(?)だった。